2015/03/11

なぜ書くか、子供たちへ、

なぜ書くか、子供たちへ、

その一

「ジルバーバーグさんは、みんなと違っているけれど、これはどうしようもないこと、生まれのせいだから許してあげなければ行けません。ジルバーバーグさんは自分では分からないから、どこをなおさなければならないか教えてあげましょう。この時間をつかってこの人のなおさなければならないことについて、作文をかきましょう!」

小学校6年、ある小学校の、ある先生はこういった。私は 教壇の椅子に座らされ、みながせっせと筆を動かしているのを見ていなければならなかった。皆が書きたいことを書き終わった後、私はひとり残されて教師の前にたたされ、君は嫌われているから、みんなに好かれるようにしなければいけない、という彼の口の動くのを見ていた。「何故、私をいじめる人たちに、好かれなければならないのですか、何故、わたしがかわらなければならないのですか、何の理由付けがあって私に注文をつけるのですか、そもそも、私について書かれたものの内容について、私が同意するか確認するため読ませて下さい」、と返答したら、彼は、「きみはいつもいうことを素直に聞かず、理屈をこね、逆に質問をする。これも生まれと、躾のせいだろう」、とあからさまに嫌な顔をされ、むろん、私についての作文の束に触れることは拒否された。私が住んでいた教室、という檻の中では、教室の調和を守るためという名目で、こうした群れの論理が、それも先生がリードして、かたちづくられていった。

(次回のブログに続く)




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