2015/03/18

いじめはリンチである。その2,(On bullying part 2)

いじめがリンチであり、そして、そのリンチを目の前にしながら、見ようとはしない教師のことについて、もう少し、自分の体験を書こう。

この前は、この先生、結局本当のところリンチの存在を知らないのでなく知りたくないのだ、ということがわかったところまで書いた。私はその後、何があっても一言も彼にはいわなかった。言っても無駄だと骨にしみて分かったからだ。 
小学校最後の大事業である、卒業文集の原稿を集めるとき、担任は私を特別にひとり呼びだし,兎に角否定的な作文や,悪口は呉々も大切な文集の雰囲気を乱すので、したためないように,とのたまわった。こちらは,作文で恨みを晴らそうとは全く考えていなかったので、この教師がどのように私をとらえているかあらためて再確認し、吐き気がした。わたしはますますクラスで、自分を消す事に専念していった。もちろん、こんなことを親に言ったら彼等をがっかりし,心配させるだけだろうと思い、ますます言葉と表情を失っていった。
それでも、親は結局何がおこっているかを知り、私を守ろうと戦ってくれた。彼らはおそらく私以上に苦しんだと思う。当時、教室と言う密室で担任の力は絶大で、親は身を切るような思いで子を教室というジャングルに送り込むしかなかった。
毎朝、今日はひょっとしたらリンチゲームの標的にならず、大丈夫かもしれないと思って家を出る。学校に着くまでの一歩一歩が、体から生きる喜びを剥ぎ取ってゆくのがわかった。クラスの前で、格好の餌物の再来にほくそ笑む同級生達の目をみて、何も感じないように自分の殻に胃の中に石を抱えながら、はいっていった。
教師はまた、2年間毎学期私の通知表の協調性と操行性の欄にゼロをつけ続けた。勿論 中学入試に全学科平均点が重視されるのを知った上である。
おもえば、私が人の群れの論理を理解するために、その後数々の奨学金や政府助成金を獲得し、日本を出て、文化人類学者として、また大学の教授として活動し、各国の小学校をフィールドとして研究活動をつづけているのは、この教師が、群れ論理の醜悪さと、権力の卑劣さの権化であったことに深いかかわりを持っている。ここで私が、実際にいじめに当たった子供達より、教師に注目していることを驚かないでいただきたい。クラスという社会は、統制者たる教師の無言の姿勢を敏感に感じ取る。リンチを可能にする環境を持つ教室は、責任の多くが担任の教師にある。教師がいじめを知らなかったというとき、知りたくなかったという本音が隠れているのを親は知っておいた方が良い。繰り替えすが、いじめというリンチは、単なる子供同士の喧嘩ではない。教室という社会の、残酷だが便利で手軽な形成儀式でもあるのだ。そして、これを黙認する教師は、教室管理を暴徒に委ねてしまっている。
あの教師はわたしに教師のあり方がいかに、教室という小宇宙を左右するものかを、みせた。たまたま私は,親が血みどろになりながら、私の人格がこの過程で破壊されないように体当たりで守ってくれたから、あの期間を生き延びることができた。親は教師と教室の生徒の行動をかえることはできなかった。しかし、私に、衆愚に迎合することなく生きるという選択をとること、その可能性を教えてくれた。苦しくとも、である。だから、自分の存在を、ものを学ぶべき場で、毎日否定されながらも、その体験を後の思考の糧とすることができた。




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