2015/03/31

大人たちへ、いじめが、あなたの子供がいい子であるかないかとは全く関係ないことを知って欲しい。




再び、エリオット先生の授業について。

これは、以前に出した、エリオット先生。約40年前、最初に彼女が自分の小学校のクラスで実験したもの。先生の示唆で、子供がどんどん変わってゆくところを見て欲しい。先生の態度がどれだけ、子供に影響を与えるかに注目して欲しい。それも、ほとんど、直ちに変わる。すごいです。 字幕付き。蝿の王をまた思い出してしまう。
ところで、私がエリオット先生をしつこく出してくるのは、アメリカの人種問題を告発したいためではありません。どんな些細なことでも、権威の示唆と、子供たちの、群れとしての衝動が、不幸な交わり方をすると、どのような理由でも、いじめの構造、リンチの構造が作られる、と言いたいがために、これらをアップしています。いじめの対象となる獲物を選ぶ理由は、こじつけです。根拠は全くなくていい。彼女は、その根拠のあほらしさを示すために、目の色、という、全く任意の違いを選び、その上に立って差別を作るのがいかにたやすいかを、克明に見せます。

いじめと戦うものたちに、声を大にして言いたい。いじめ、つまりリンチは、あなたの子供の挙動に原因があるのではない、と。違いを差別に導くことで、集団を形作ったほうが、心地よい土壌を、そこにつくったから、リンチが起こる。(これははっきり言います。リンチが起きたら、子供も、そして特にその子を愛する大人も、戦争に入ります。リンチはこちらが良い子にしていたら止むものではないから。子供が、”いい子”になれば治るっとは決して思わないでください。あなたの子供の存在自体を、あなたがまもらなければならないからです。)

力づく言葉、馬から学べること。。。

これは、前にも少し紹介した、ジョーキャンプさんのかいた本です。まだ日本語に訳されていないので、ここで少し、何が面白いか説明します。 ジョーさんは、前にも行ったように、他の人から、相手にされず、長いこといじめられたケイケインある人です。それでも、情熱を持って、自分の好きなことをするために、自分で道を切り開いていった人です。


この人は、いかに、馬から、自分の考え方を自分で探し出すことの大切さを学んでいったかの道が、書かれています。そこで、この本について書きますね。

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皆さんにぜひ読んでもらいたい、おすすめの本があります。題は「ザ ソウル オヴ ア ホース」、つまり「馬の魂」。書いた人は、ジョー キャンプさん。単なる馬についての本ではないのです。

 馬といえば、あなたはどんなことをイメージしますか。競馬、乗馬クラブ、サーカスの馬、馬車馬、軍馬。いろいろなイメージがわくでしょう。でもどれも、結局は私たち人間の乗り物や、道具として考えることでしょう。
  ジョーさんの本はここが違うのです。ジョーさんは、馬は乗り物や道具なんかではなく、彼らなりの、人とは別個の生き物として扱うことが大切だと述べているのです。彼はこのように視点を変えると、今までの伝統的な飼いならし方、飼い方全部が馬にとって害をもたらすことにきづき始めます。
ここでジョーさんは偉かった!
 ジョーさんは、伝統的な馬の飼い方、という古くから疑われることなく存在する、決まったやり方を前に、こう思いました。全て自分の頭で考え直し、本当に正しいか考えてみようと。こうすると、偉い人たちが、馬にこうしろ、と言っていることが、必ずしも正しいものではないことに気付きました。
例えば、、、、蹄に蹄鉄を打ち付ける、11頭、群れから離してひとりぼっちの狭い部屋に入れる、建物の中に入れる、寒い時には服を着せる、などといった今までなんの疑問もなく、当たり前のこととしている、飼い方はぜんぶ馬のためになっていないことに気づきます。
 また、馬は体重のわりに胃が小さいので、1日あたり1820時間食べていなくてはなりません。それなのに、13回 、栄養たっぷりの餌をあげます。この餌を馬は30分もあれば食べてしまうので運動する時間を差し引いても、時間を持て余し退屈です。その結果、ストレスがたまり、ノイローゼの原因となることも発見しました。
ジョーさんは、今までまかり通っていた、伝統的な馬の飼い方は、かれらの健康や命までをもおびやかしていたのだと発見します。じっさいに、野原で自由に生きてる馬たちは、人間に飼われている馬たちよりもおよそ二倍も長く生きる、という調べさえジョーさんは見つけました。
そして、馬と人との、最初の接触のやり方についても、新しい発見をします。 ジョーさんは、特別な飼い慣らしの方法を使います。これはジョインアップと呼ばれる、無理強いのない、馬自身の心を尊重する方法です。馬の側から、この人間をリーダーとしたい、と思わせる方法です。このやり方で結ばれた絆は、馬を痛めつけ、無理強いして服従させる従来のやり方よりはるかに素晴らしいものである、とジョーさんは説明します。相手の身になって作られた絆の強さ、そして美しさは、読んでいて涙が出ます。
ジョーさんの本は私たちに、恐れること無く、自分の頭で考え、質問し実行してゆくことの大切さを教えてくれます。ジョーさんの本は、声なきもの、自分より弱いものたちの身になって、考え、絆をつくることの、大切さを教えてくれます。
だから、この本を読んでほしい。
  


2015/03/28

いじめはリンチである。その4







受け持ちの小学校教師が、私の(操行)が改まるまで内申書を書くのを拒否したことは既に書いた。両親、特に父親は、私に一言も言わなかった。が むしろ虐められた本人の私より断腸の思いを味わったと思う。
私は笑わなくなり、学校に失望し、知ることの喜びを忘れかけていた。父には私がこのまま公立の中学に入ると、同じ環境がそのまま持ち上がって、同じグループのいじめが続くのが目に見えていた。私が新しいいじめのサイクルにとりこまれ、完全に破壊され切ってしまう前に、父はある判断をとった。
父は私に、ある日ここを受けてみればどうかと,ある私立のXという学校のパンフレットを持ってきた。この学校は当時の日本では珍しく、生徒一人一人の味と能力を伸ばすことを主眼とした教育を実践していた。入学試験は、教科筆記試験に頼らず、3日間の長時間の個人口頭試問によるものであった。そこでは子供に,一律の正しいとされる答えを求めるのでは無く、どのように子供が共通の材料を使って考察し,その結果を,第三者に系統だって発表するか、を評価の対象とする。通知表の中身が普通でなくとも、また私のように,公立の学校の教師に裏切られ、内申書の無い子供にも、受験のチャンスを与えているところだった。日本にある中華学校や朝鮮人学校の卒業生や、 当時珍しかった海外帰国子女などにも、率先して門戸を開いたところでもあった。なんでも誰でも受け入れるのでは無い。子供があることに情熱を持ち、取り組む気概があるか見極め、それがある子には徹底的に、機会を与え、時間を与え、試練を与えるという学校だった。

はっきりいう。私は父がこの学校を見い出してくれたことで、救われた。ここではクラスに入る前に,痛みを止めるために,絶望による心の麻酔薬を肌にまとう必要は無かった。この学校では、校長にはじまる教師達、そして特に担任の先生にとり、私は他の50人と全く同様、著しく無知であるが可能性に満ちた、一人の中学一年生にすぎなかった。ここでは 柔軟な学習スケヂュールのなかにも勉強に対する峻厳な態度を求められ、とくに、人がどう思うかと気にするよりとにかく自分の頭で考えてみよ、と励まされた。

2015/03/25

考えさせられることば。











小さな黒豹さんたちへ、



みなさん、次の文はある人が、自分の生き方について書いたものです。
この人はいじめられっ子、つまりみんなとは違う、と思われてきた人です。http://thesoulofahorse.com/



     この人は自分のまわりのえらい人がなんと言おうと、自分の頭で考えることを選び、自分の人生を、人になと言われようと情熱を持って生きる、と決めて、実行している人。周りの、偉い人たちに随分いじめられた人なのですよ。ベンジーという、犬についての大ヒット映画を作った人でもあります。今は、全くの素人なのに、馬を相手に新しい人生を作ることを始めて、またまた、おきまりのことしか言わないお偉いさんにいっぱい邪魔をされました。それでも情熱を貫いて、大ベストセラーを書いた人。元いじめられっ子の底力を感じます。

まあ、読んでみてください。
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The Real Secret to Relationship with your Horse
By Joe Camp

馬との絆の秘訣
ジョー キャンプ
試訳 ユキ


スティーヴン コヴェイの、出来る人、成功する人の七つの習慣。アンディー アンドリューズの七つの重要な判断。いくつもの秘訣のリストが世にでている。成功の12の鍵。30の秘密。8つの原則。5つの知っておくべき事。トップになる8つの方法。6つの人生における教訓。こんな調子で限りがない。
でも、私の父が一番あたってた。なにを目指すにしろ、成功の秘訣は本当にただ一つ。全てがこれ次第なのだ。
父との会話がまるで昨日のことのように思い出される。私のアルバイト先のボブ カメラ店からの帰りの車のなかでのこと。ちょうど、自分の未来のことをあれやこれやと思案していた頃だった。16歳の少年が、いったいどう、きたる人生の方針を定めるなんてことができるか? どっちへ進めばいいのだろう?考慮しなければならないことは一杯あるのに、大学に入るまでにわずか一年しかない。ハイランドからサザンへ向かう角を曲がったところで、父にこう尋ねた。
「一生の仕事を選ぶなんて、どうすればいいんだろう?一体どこから手をつけたらいいの?」父から返ってきた言葉は思いがけず深く、よく聞くような、おきまりの言葉ではなかった。妙にびっくりしてしまった。
父は答えた。「全くお金をかせげなく思えても、それでもしたくなることを選ぶんだよ。そうしてはじめて自分の人生と仕事に、情熱をもてる。そうしてはじめて、素晴らしい仕事ができるんだ。これが幸せを呼ぶ。」
そう。情熱。これに尽きる。
これに全てかかっている。
この情熱とやらは一体どこから湧き上がってくるのだろう?どう働くのか?そしてそもそも、どうやって捜しあてるのだろう?
成功した人々の、情熱に基づいた観点を分析した本は巷に溢れかえっている。 どれも大概、彼らが何をして何をしなかったかを、端正にリストに挙げている。しかしこれらのリストには何の効果もない。
それらは単なる情報にすぎない。それも、その性質上歴史的な情報だ。つまり、ワインや、宗教やパートナーの選択の好みのように、ひとりひとり、それぞれ固有の状況が違うので、一般化して適用することができない情報だ。
しかし情熱を持って生きることからくる魔法のように素晴らしい成果は、個人それぞれの目標、夢、年齢、性別、学歴、の違いに関わらず、だれで勝ち得る可能性がある。何かを情熱を持って探求すると、無限の可能性が開かれる。
情熱を持っていれば、その達成を阻む障害物はただ単なる邪魔なものに過ぎなくなる。乗り越えたり、掘り抜けたり、迂回したりして、この邪魔なものを乗り越える道を探し続けるだけのことだ。一方、情熱が無ければ、大抵障害物の前でへこたれてしまう。
父との会話は59年前のことだ。でも、彼のこの一言が決定的に私の人生の進路を変えた。それまでとうてい不可能だとあきらめていた僕の夢が、かなうものであり得る。彼の言葉はこれを意味していたからだ。実際、ぼくの夢は不可能ではなかった。情熱に裏付けされていたから。情熱にかられていたから、まったくハリウッドの助けなしに、ユニークで国際的な映画のスーパスターを生み出せた。情熱にかられていたからこそ、ほんの数年前まで全く無知だったことについての本を書き、全米ベストセラーになった。この2つの成果のどれも、情熱の賜物だ。
いまのところ、これだけの成果をあげることができた。
ここまで、ずうっと情熱にかりたてられてきたから。
ベンジーシリーズの最初の作品は、ハリウッドのどの配給会社にも断られた。だから、自分でプロデュースし、わたし自身のなんの実績もない無名の会社が配給したのだ。そして、その年のべスト映画の第三位になった。

同様の情熱で、生徒の多くが黒人でリスクが多いとされていたある寄宿学校に、新しいプログラムを作った。いまやこの学校の卒業生の95%から100%が、大学に進学する。大多数が、全米トップ25%に数えられる大学に受け入れられるようになったのだ。
8年前、馬など一匹も飼ったことはなく、馬の飼育に関して全く無知だった。しかしいまや私の書いた馬の本が国内で最大の出版社からベストセラーで出版され、第13版を重ねている。この本は、世界中で、今までの馬の飼い方慣らし方についての捉え方を変革しつつある。決して経験があったから行動したのではない。ただ情熱にかられて、真実を探求した。情熱こそが本へとつながり、執筆活動を支えたのだ。
情熱こそが、二百万匹以上もの引き取り手のないペットの新しい飼い主を見つけるきっかけをつくり、アメリカ中の動物シェルターの仕事をのべ一億回もメディアに発信できた原動力であった。これは枚挙に暇のない事例のほんのひとにぎりにすぎない。どのケースも起こりそうにないことだった。どれも未知の世界を航行する冒険だった。そしてどれも、努力を通じて、少しでも良いことをすることができたらいい、という望みを持って実行された。
馬についてそうだったように。
彼らへの愛は、情熱の賜物だった。
その大元はどこから来たのかって?
もちろんいうまでもない。ある一頭の馬からもらったのだ。この馬から情熱をもらえるように心を開いたから。自分の最初の馬が、彼の側から私を選ぶ自由を受け入れたから。私をリーダーとして信頼してくれるまで、待ったから。その逆ではない。彼自身の選択に任せた。
それが起こったとき、私、そしてこの馬のすべてが変わった。もはや彼は私の所有物ではなく、私は所有者でもなくなった。あたかも映画、ヒダルゴの冒頭のセリフそっくり。キャッシュはもはや私の弟となったのだ。

2015/03/24

センス オブ ワンダー




もういちどいおう。君たちが、自分の状況の辛さに飲み込まれて、悲しくって辛くってたまらないと思うことが必ずある。その時、この下のリンク(紫に見える文字)のうえにカーソルを持っていって、クリックして。そして、映像を見てほしい。今、君達が住んでいる、このおなじ地球の上の出来事なのだよ。視点を変えてみてみると、知っている、見飽きていると思っていた事の、魔法のようなすばらしさがみえてくる。けっしてけっして、けっして、諦めてはいけない。いないほうがよかったかもしれないとなんか思ってはいけない。きみたちはそのままですばらしい。

さあ、これが君たちに覗いてほしい短い映画です。
映像作家ルイ・シュワルツバーグが魅せるハイスピードカメラを使用した幻想的な世界


2015/03/22

ちょっと、一息、コーヒータイム。





























思いつめた時は、手を動かし、何か作ってみようか、
年取って灰色になってしまった黒豹が、若い黒豹にエールを送ってますよ。

サックス先生の言葉 その2 老いについて(でも若い子たちに読んでほしい)

 








メタセコイア、3000年の樹木








































最近、自分の重い病気の再発と、自分の死生観について素晴らしい文を発表したオリバーサックス先生。
実は、今から2年前自分の80の誕生日の直前、老い、についての素晴らしい文も発表していました。
以下、日本語訳です。



老いの喜び(冗談ではなく)

オリバーサックス
試訳 ユキ 

昨夜、水銀の夢をみた。銀色に巨大にまんまるに耀き、あがったりさがったりしている夢。水銀は原子番号80番。私の夢は今週の水曜日、80歳になることにつながっている。

 わたしにとって、少年時代から物質と誕生日は切ってもきれないものだ。物質の原子番号と周期表を習って以来ずっとである。11になったとき、ぼくはソディウム   (原子番号11の物質)だ!といって喜び、今79なのでわたしは金だ、と思うのだ。数年前に友人の誕生祝いに、水銀の入った瓶を贈ったことがある。もちろん漏れたり壊れたりしない特別な瓶に入れて。彼は私を不思議そうな目でみつめかえした。それでも、その後、愉快な手紙を送ってくれる。毎日健康のために少しずつこれを飲んでるよ!と。

 自分が80になるだなんて!信じられない。やっと人生始まったばかりだ、と思うこと多いのに、はや終末に近づいているとは。母は18人兄弟姉妹中の16番目。わたしも4人兄弟の末っ子である。だから、母方の膨大ないとこたちの中で、ほぼ一番若かった。高校でも同級生の中で一番若いのだ。だからいつも自分が一番若い者たちの中に数えられるという感覚に慣れてきた。ところが今や、私の周りの知っている人の中で、私が一番年を取っている。 

41のとき、もう一貫の終わりと思ったことがある。たった一人で山登りをして、ひどい骨折を足に負ってしまったときだ。足に一時しのぎの添え木を当て、山をなんとかして腕のみを使って這いずり下りた。この恐ろしく長い下山の間、自分に起こった良いこと、そして悪しきことの思い出が激しく脳裏に呼び覚まされた。 これらの思い出は、ほとんど感謝の気持ちを込めて想いおこされたものだった。他人から授かったものに対しての、感謝の気持ち。そしてまた、いくばくか、お返しもできたことに対する感謝の気持ち。当時、レナードの朝 (原題 The Awakening がその1年前に出版されたばかりの頃だ。

 80になる今、どれもなんとかなるわずらわしい幾つかの病気と手術を経験しながら、感じることは、生きていることへのありがたみだ。死んでなくてよかった!時々お天気が素晴らしい時など、正にこんな気持ちが私を包む。(これは、サミュエルベケットについてある友達から聞いた話と全く逆。この友は、ベケットとある素晴らしい春の日に、パリで歩いていた。友はベケットに、“生きてて良かったと思わないかい、こんな素晴らしい日を味わうと?と聞いた。ベケットその質問に答えて曰く ”そんなこと、ことさらには思うものか")

いろいろなことを体験できたことをありがたい、と感じる。味わった体験が素晴らしいものであろうと恐ろしいものであろうと。1ダースほどの本を書き上げることができたこともありがたい。そして数知れない手紙を、友人から、同僚から、読者からいただくことができた。そう、ナサニエルホーソンのいう、”世界との交わり”を体験することができたのだ。 

逆に、多くの時間を無駄にしてしまったことを後悔する。今でも無駄にすることがあるのだが。また、20の頃とおなじように、80にしても、身を切るほど内気であることを後悔する。自分の母国語以外の言葉をしゃべれないことも後悔する。そして、もっと旅をして他の文化を今以上に経験しなかったことも後悔している。

2015/03/20

いじめはリンチである。その3


               文化人類学という学問は、文化集団という、人の群れの仕組みのでき方、力の無い者と有る者ののでき方、協力と葛藤、などを外から、内部の目をもって、もしくは、内から外れものの目をもって 見てゆく学問である。いわば、職業的文化追放者として、あらゆる先入観、偏見、思い込みに抗って、あえて外れ者の目を大切につちかってゆかなければやってはゆけない商売である。まさに、常に教室の中の集団の継続に利用されつづける内なる外れ者である虐められっこは、文化人類学者になる最高の訓練ができているともいえる。

    いったい、小学校の、あの群れの中で、私はなにをどう観察していたか。あの人間集団の醜さを前にして、いたみながら、私の中のある部分は、この環境を観察していた。水族館の水中トンネルにはいり、ガラスのこちら側から鬼ヒトデが珊瑚にむしゃぶりつくさまを、一種の感銘をもってみいる観客のようなものだ。たまたま自分が餌食の珊瑚であっても、現象そのものの興味深さを把握することはできる。
その儀式は、見ようによっては、見事に演出された、一つの作品であった。生け贄を、朝 祭壇である教室に、処刑を司る役者達が 嘲笑をもって迎入れ、できるだけ、その日にいかに、切り刻まれるかを、前もって餌食に予告して、教師の見えない所で餌食の心を絶望で、凍てつかせ、一日かけて、すこしずつ拷問の定型パターンに変化を利かせ、帰りの会という魔女裁判で、シュプレヒコールのように、餌食のその日の存在についての罪状を読み上げる。ほとんど振り付けの決まったギリシャ悲劇か、残酷なスラプステイックコメデイだった。
ただし、ここで言っておきたい。私をおとしめることに毎日、腐心していた彼等は、悪魔の化身では無かった。全て普通の子だった。一人でうちにいるときは、きっと良い子だったのだろう。それでも、いったん 教室という祭壇にはいり、生け贄をみつけ 観客がそろったとき、人間は消えて群集だけが残った。 個人が消えて、いじめの儀式の快感に打ち震える群れしか残らなかったのはなぜか。他者の違いを強調し、おとしめるときに脈打つ、共犯者達とのあいだの、歪んだ嘲笑にあらわれる、サデイスチックな喜びと快感はどこからくるのか。


ここで強調したいのは、いじめという名の集団による個人への破壊行動は、単なる違いを持ったものの、排除では無いということだ。集団が先にあるわけでは無い。誰かを皆とは違うというレッテルをつけて、その存在の危険さ、汚らわしさを 観客の前で高らかに謌い上げることをつうじて、はじめて、恍惚とした連帯感が生まれる。つまり、統合と排除(インクルージョンとエクスクルージヨン)というものは別々におこるのでなく、常に同時におこる。私の存在は、グループづくりには欠かせない存在であったのだ。集団の団結のためにいなくてはならない存在といってもよい。私は集団の中にいながら、集団の内と外を分ける境界線を、活性化させるのに役立っていたのだ。

2015/03/18

いじめはリンチである。その2,(On bullying part 2)

いじめがリンチであり、そして、そのリンチを目の前にしながら、見ようとはしない教師のことについて、もう少し、自分の体験を書こう。

この前は、この先生、結局本当のところリンチの存在を知らないのでなく知りたくないのだ、ということがわかったところまで書いた。私はその後、何があっても一言も彼にはいわなかった。言っても無駄だと骨にしみて分かったからだ。 
小学校最後の大事業である、卒業文集の原稿を集めるとき、担任は私を特別にひとり呼びだし,兎に角否定的な作文や,悪口は呉々も大切な文集の雰囲気を乱すので、したためないように,とのたまわった。こちらは,作文で恨みを晴らそうとは全く考えていなかったので、この教師がどのように私をとらえているかあらためて再確認し、吐き気がした。わたしはますますクラスで、自分を消す事に専念していった。もちろん、こんなことを親に言ったら彼等をがっかりし,心配させるだけだろうと思い、ますます言葉と表情を失っていった。
それでも、親は結局何がおこっているかを知り、私を守ろうと戦ってくれた。彼らはおそらく私以上に苦しんだと思う。当時、教室と言う密室で担任の力は絶大で、親は身を切るような思いで子を教室というジャングルに送り込むしかなかった。
毎朝、今日はひょっとしたらリンチゲームの標的にならず、大丈夫かもしれないと思って家を出る。学校に着くまでの一歩一歩が、体から生きる喜びを剥ぎ取ってゆくのがわかった。クラスの前で、格好の餌物の再来にほくそ笑む同級生達の目をみて、何も感じないように自分の殻に胃の中に石を抱えながら、はいっていった。
教師はまた、2年間毎学期私の通知表の協調性と操行性の欄にゼロをつけ続けた。勿論 中学入試に全学科平均点が重視されるのを知った上である。
おもえば、私が人の群れの論理を理解するために、その後数々の奨学金や政府助成金を獲得し、日本を出て、文化人類学者として、また大学の教授として活動し、各国の小学校をフィールドとして研究活動をつづけているのは、この教師が、群れ論理の醜悪さと、権力の卑劣さの権化であったことに深いかかわりを持っている。ここで私が、実際にいじめに当たった子供達より、教師に注目していることを驚かないでいただきたい。クラスという社会は、統制者たる教師の無言の姿勢を敏感に感じ取る。リンチを可能にする環境を持つ教室は、責任の多くが担任の教師にある。教師がいじめを知らなかったというとき、知りたくなかったという本音が隠れているのを親は知っておいた方が良い。繰り替えすが、いじめというリンチは、単なる子供同士の喧嘩ではない。教室という社会の、残酷だが便利で手軽な形成儀式でもあるのだ。そして、これを黙認する教師は、教室管理を暴徒に委ねてしまっている。
あの教師はわたしに教師のあり方がいかに、教室という小宇宙を左右するものかを、みせた。たまたま私は,親が血みどろになりながら、私の人格がこの過程で破壊されないように体当たりで守ってくれたから、あの期間を生き延びることができた。親は教師と教室の生徒の行動をかえることはできなかった。しかし、私に、衆愚に迎合することなく生きるという選択をとること、その可能性を教えてくれた。苦しくとも、である。だから、自分の存在を、ものを学ぶべき場で、毎日否定されながらも、その体験を後の思考の糧とすることができた。




2015/03/17

いじめはリンチである。

ここではっきり言う。いじめはリンチである。喧嘩両成敗、という人がいたら、リンチは喧嘩ではない、と、反論することが必要だ。


小学校で、学年が進み、もっぱら学級で授業をするうえで、班単位で活動しはじめるようになると、次第に、グループづくりの機会が、私のつるし上げの時間となってきた。教室という劇場において わたしには、トランプでいえばババ、だれもとりたがらないメンバーの役割が永久にあてがわれた。理由はなんでもいいのだ。たまたま、彼等は私に、アイノコ、キンパツ、ガイジン、という便利なレッテルをあてがった。が、別にこれはいかなる口実でもあり得た。群れをつくる恍惚を味わうのに一番手っ取り早い手段が除け者を作ることで、私が格好の標的になったまでの話だ。

いかに私をとらないでグループを構成できるかが、毎回みんなの興奮するゲームになった。私の存在は 病原菌、腐り病がうつるもととされ 私が座る場所は、いかずの場、汚れの場になり、間違って私の持ちものや私自身に接触した子は、短期間みなにさけられエンガチョ、とののしられる。バイキンは誰か他の子を触り、うつすことで取り払われるので、急いでうつす子を見つけなければならない。次にその新しい子が駆け回り、うつしっこが続く。教師の前でも、このゲームは隠れて行われるのみだった。たまに教師が 私の周りを子が避けてゆくのを見ても、4年までの教師は大概、皆 仲良く、お友達でしょう、という嘘を宣言するか、悪くて 、見ないふりをするばかりだった。5年生、そして最高学年にはいると、問題のあるクラスを持ったことのない、昇進ルートをまっすぐ進んでいたT教師に受け持たれた。この頃になるといじめはもっと陰湿になり、ランドセルの中に無数の毛虫をいれられたり体育の着替えの時間に、特に女の子のボスたちから、いかに私がアイノコでニホンジンと生理的に違い、けがれているかと男子のまえで声高にいわれ、嘲笑された。放課後 男の子に囲まれ 逃げられないように円陣が組まれ、集団で殴られかかった。通りがかりの用務員のおばさんにその様子がみとめられ、そこからでることができた。 事件がなくとも、毎日一挙一動を監視され、帰りの子供会議、(子供の自主性の尊重という建て前のもと大体、教師はいても黙って,聞いているのみ)で毎日毎夕魔女裁判にあった。私がいかに廊下を歩くときに中央の線を何回はみだして、右側通行の決まりを守らなかったか、履いている靴の種類が いかに皆のものとは違い、おかしいか、掃除当番のときに、病原菌をもっているのに、わざと他の子の机に触れた、 ドッジボールで皆が楽しんでいるのに ボールに触って ゲームをおじゃんにした。理由はいくらでもあり、担任は、後で子供会ノートに、ひとり私が 毎日、異様な量の注意を受けたことだけをしるしたメモを受け取る。そして彼はいかに、わたしが集団の決まりを守らないか、ということだけに、着目した。その集団の決まりがいかに 生け贄の血祭りゲームのルールであろうが、教師の知ったことではなかった。

2015/03/15

心が痛い時。

小さな黒豹たちへ、

この前は、心が痛い時は、自分の周りの声ないもの、弱いものに耳を傾けよう、といったね。今日は、また別のものの考え方を、紹介したい。それはなんでしょう?


お空を見上げることです。私たちが生きている、この空間。限りなく広い。でも、つながっている。素晴らしいと思わない?
この下のリンクをクリックすると、宇宙の大きさをどのように、人間が測ってこようとしたか、アニメで見ることができる。英語がわからなくても5分間で頭の宇宙旅行が出来ます。はじめの一歩!

http://laughingsquid.com/how-we-measure-the-universe/

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2015/03/14

誰も自分の苦しみをわかってくれない、と感じたら





小さな黒豹たちへ、


自分が、いじめられているとき、誰にも自分のことをわかってもらえない、と思うだろうね。声がなくなってしまう、と感じるだろうと思う。

そのとき、まわりにいる声のないもの、小さな力のないものに目を向けてみよう。心を開いて、優しさを持って、君たちの近くにいる、自分の外の小さきものたちに、手を差し伸べて。優しさは力でもある。きみたちをおとしめようとする者たちには、とうていわかりようのない力が。

この美しい写真には、次のような、ダーウィンの言葉がついています。私たちと動物の間には、深い隔たりはない。心地よさや、苦しみや、喜びや、悲しみ。われわれみんな、同じように感じるのだ、と。

2015/03/13

自己紹介を、しっかりしますね。





このブログを書いている、わたしは誰でしょう。

私の名前はユキ・ジルバーバーグ。



わたしは、今から約40年前に、東京の普通の学校の、普通の教室で、いじめというリンチを生き延びた、ただの人です。今は北米のある大学で、文化人類学を教えています。文化人類学とは、つまり人のありかたを、その人の身になって知ろうとする学問です。アジア、ヨーロッパ、北米、いろいろなところで教え、いろいろな人々を観察してきました。日本語、英語、フランス語で、学んだことを書いてもきました。

どうしてこの人たちはこういう行動をとるのだろう。もっといえば、この人たちはどうやって自分のものの見方をつくりあげるのだろう。わたしを動かすのは、こんな疑問です。そして、自分にはわからない行動を選択する人々を、わかってみたい、質問してみたい、と思う源は、遥か昔の、あの教室、あのリンチの現場にあります。

あのとき、わたしは、いじめられながら、いじめ世界の仕組みも観察していたからです。いじめに苦しんでいる子供である私と同時に、いかに、教室というジャングルの中で、人が心無い群れになっていったか。いかに、先生、いじめっ子、それを眺めている子達、そしていじめられっ子が、あの残酷な劇の中に組み込まれていったか。それを、冷たく内部から観察する、小さな観察者がすでにいました。

今日、より一層凄惨になっている、いじめという状況の中にとりこまれ、苦しんでいる子供達がいます。わたしはきみたちに、語りかけ、耳を傾けます。きみたちの苦しみがまごうかたないものであることを、わたしは知っているからです。

そして、きみたちが一人ぼっちではないことを、きみたちに知ってほしいからです。

オリバーサックスの、生き方についての言葉



君たちは、オリヴァーサックス先生を知っているかな?
脳の働き方を研究している人です。同時に、ハンディキャップがあり、変わっているとされている人たちが、いかに実は勇気あり素晴らしい人々なのかを、長い事書き続けてきた、とても素敵な人です。
ところが、不幸なことにこの先生は自分がとても重い病気にかかっていることを知らされました。
この下の文は、彼が、もうあまり長くは生きていることができない、と知った後、残る時間をどのように過ごしたいかを書いたものです。
まだ若い君たちに、どうして、この文を紹介するかって?

どうやって、人の目を気にしない、自分の本当の生き方を見つけ出すか。その質問についての、かけがえのない手がかりを、この文が与えてくれるから。ちょっと長いけれど、読んでみて。後悔はしないよ。

私自身の人生 オリヴァーサックス
訳(初稿)ユキジルバーバーグ

(自分の末期ガンを知ったオリヴァーサックス先生が、今年の2月19日にニューヨークタイムズに寄稿したものです。)

一月前までは、健康に自信があった。むしろ頑強だと思うくらいだった。81のこの年にして、まだ毎日1マイル泳いでいる。でも幸運はそうは続かない。数週間前に肝臓に大量の癌の転移があることを知ったのだ。実は9年前、目に稀な腫瘍を患ったことがある。眼のメラノーマだ。結局、腫瘍を取り除くための放射線とレーザー療法で片目の視力を失うことになる。目のメラノーマが一般的に転移する率は概ね50%といえる。それでも、私固有の状況を鑑みたところ、転移の可能性は小さいとされていた。そんななかで、わたしは貧乏くじをひいてしまったのだ。

最初の診断から9年間。この間、健康で実り多い人生を送ることができたことをありがたいと思う。そして、今、ついに死と直面することになった。癌は私の肝臓の三分の一をすでに侵食している。この種の癌は拡散を遅くすることはできても、止めることはできない。

残る何ヶ月かの時間をどう生きるか。まったく私次第だ。可能な限り豊かに、深く、実り多く生きてゆかなければならない。そんなとき、私のお気に入りの哲学者のひとり、デビッドヒュームの言葉に元気つけられる。彼は、65歳のとき、自分が病のため余命幾ばくもないことを知った。そして1776年の4月のある日、1日で、私自身の人生、という短い自伝を書きあげた。
その中でこう言っている。“私はもう長くない。それでも病からくる苦しみはほとんどない。そしてもっと不思議なことに、病状が極度に悪化しているにもかかわらず、一瞬たりとも気が滅入ることがない。 いつもどおり熱い思いで研究を続け、いつも通り朗らかに人と交わっている。”

幸運にも、私は80歳を超えるに至っている。ヒュームに与えられた65年より、15年間余計に授かったというわけだ。そしてこの間、仕事と愛情の両方において恵まれてきた。この期間、本を5冊出版し、この春には自伝(ヒュームの数枚の自伝に比べてもうちょっと長いものを)を出版する。さらに別に、完成まじかの本が数冊手元にある。
ヒュームはこう続ける −“私は、穏健で、怒りに支配されることのない気性の人間だ。 開けた精神を持ち、社交的で明るい性格を持っている。人とのつながりを作り上げることもでき、かつ喧嘩腰になることもない。 いってみれば激情に流されることのない性格だ。”

ここでヒュームと私とは大いに異なる。確かに私も彼のように愛情と友情に恵まれ、本当の意味の敵はいない。しかし私は、(そして私を知っている誰もが同意するだろうが)自分が穏健な性格とはとてもいえない。それどころか、私の性格は熱情にあふれ、激しく物事に入れ込み、自分のするすべてのことに対して、極端な情熱を注ぐ。それでいて、ヒュームの文にある次の一行の紛うことない真実に心打たれる。 
“生きる事に対して、今の私が感じるのはこの上もない距離感だ。”

ここ何日間まえから、自分の人生を、きわめて俯瞰的に、一種の風景のように見ることができるようになってきた。そしてその風景を構成する様々な部分のつながりを、深く感じ入るようになってきた。だからといって、もう生きることを諦めたわけではない。
逆に、生きていることをしみじみ堪能する。残された時間は、友情を深め、愛する者にお別れを告げ、もっと書きたいことを書き、体力の許す限り旅をし、より新しい次元の理解や洞察を獲得するためにつかいたいと、切に希望する。これを成し遂げるには、大胆、明晰、そして率直であることを必要する。世界と私との関係を精算すべき時が来たのだ。もちろん、遊び時間も作りながら、そして願わくば、ちょっぴり間の抜けた事さえをし続けながら。

にわかにフォーカスが定まり、観点が明らかになったと感じるのだ。大切なこと以外にかける時間はもうない。自分と、自分の仕事と友人達。これに焦点を合わせなければならない。もう、毎晩のニュースアワーを見ることもない。政治や、地球温暖化についての議論に関心を注ぐこともやめる。
これは、無関心ではなく、距離を置くことだ。今でも中東問題や、地球温暖化や、格差拡大は、私の心を動かす。でも、もはやこれらの論点は、私自身の手から離れた。来る世代の手に渡ったのだ。才能に溢れる若い人々との巡り合いに、 私の心はときめく。私の転移した癌を、検査し診断を下した若い人との出会いでさえも。
未来を受け継ぐ若い人たちを、頼もしいと思う。

この10年来、私と同世代の人々の死を、ますます意識するようになった。私の世代の人間は、退場しつつあるのだ。一人一人の死は、どれもみな、断絶であり、私自身の一片を引き裂くようなものだ。私たちが去ったら、私たちのような者たちはいなくなる。もちろん、だれが亡くなっても同じだ。その人は決して再び存在することはない。人は死んだら、誰かに代わってもらうことは、決してできないから。亡くなった人々は、埋め合わせることのできない穴を残してゆく。あらゆる人間は、遺伝的に、そして神経的に、絶対的にユニークな個人であるという宿命を負っているがために。そうして、ひとりひとりが自分の道を見出し、自分の人生を生き、自分の死を経験する。

恐れていない、ということはできない。でも、今何を強く感じているかというと、感謝の気持ちだ。私は、愛し、愛されてきた。多くのものを与えられ、幾ばくかのお返しもやりとげた。読み、旅し、考え、書き続けてきた。いわば、ものを書く者と読む者との間の、独特な関わり方で、世界と交わい続けてきたのだ。
そして何よりも、意識ある存在、考える動物として、この美しい惑星に存在してくることができた。このこと自体が、既にもう、とてつもない特権と冒険なのだから。