2015/03/20

いじめはリンチである。その3


               文化人類学という学問は、文化集団という、人の群れの仕組みのでき方、力の無い者と有る者ののでき方、協力と葛藤、などを外から、内部の目をもって、もしくは、内から外れものの目をもって 見てゆく学問である。いわば、職業的文化追放者として、あらゆる先入観、偏見、思い込みに抗って、あえて外れ者の目を大切につちかってゆかなければやってはゆけない商売である。まさに、常に教室の中の集団の継続に利用されつづける内なる外れ者である虐められっこは、文化人類学者になる最高の訓練ができているともいえる。

    いったい、小学校の、あの群れの中で、私はなにをどう観察していたか。あの人間集団の醜さを前にして、いたみながら、私の中のある部分は、この環境を観察していた。水族館の水中トンネルにはいり、ガラスのこちら側から鬼ヒトデが珊瑚にむしゃぶりつくさまを、一種の感銘をもってみいる観客のようなものだ。たまたま自分が餌食の珊瑚であっても、現象そのものの興味深さを把握することはできる。
その儀式は、見ようによっては、見事に演出された、一つの作品であった。生け贄を、朝 祭壇である教室に、処刑を司る役者達が 嘲笑をもって迎入れ、できるだけ、その日にいかに、切り刻まれるかを、前もって餌食に予告して、教師の見えない所で餌食の心を絶望で、凍てつかせ、一日かけて、すこしずつ拷問の定型パターンに変化を利かせ、帰りの会という魔女裁判で、シュプレヒコールのように、餌食のその日の存在についての罪状を読み上げる。ほとんど振り付けの決まったギリシャ悲劇か、残酷なスラプステイックコメデイだった。
ただし、ここで言っておきたい。私をおとしめることに毎日、腐心していた彼等は、悪魔の化身では無かった。全て普通の子だった。一人でうちにいるときは、きっと良い子だったのだろう。それでも、いったん 教室という祭壇にはいり、生け贄をみつけ 観客がそろったとき、人間は消えて群集だけが残った。 個人が消えて、いじめの儀式の快感に打ち震える群れしか残らなかったのはなぜか。他者の違いを強調し、おとしめるときに脈打つ、共犯者達とのあいだの、歪んだ嘲笑にあらわれる、サデイスチックな喜びと快感はどこからくるのか。


ここで強調したいのは、いじめという名の集団による個人への破壊行動は、単なる違いを持ったものの、排除では無いということだ。集団が先にあるわけでは無い。誰かを皆とは違うというレッテルをつけて、その存在の危険さ、汚らわしさを 観客の前で高らかに謌い上げることをつうじて、はじめて、恍惚とした連帯感が生まれる。つまり、統合と排除(インクルージョンとエクスクルージヨン)というものは別々におこるのでなく、常に同時におこる。私の存在は、グループづくりには欠かせない存在であったのだ。集団の団結のためにいなくてはならない存在といってもよい。私は集団の中にいながら、集団の内と外を分ける境界線を、活性化させるのに役立っていたのだ。

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