2015/04/13

いじめの謎を、追い求めて 1





カナダという国は、豊穣なイメージをそそる国だ。森と河川と広大な国土、豊かで清潔な文化、暴力沙汰のない 完璧な治安。偏狭な精神と窮屈な風土から逃れようとしていた私に、カナダと言う言葉は幻想を持たせた。
私は、ある国立大学の修士課程の入学説明書を読んでいた。日本語、英語 ドイツ語、フランス語に多重なつながりを持つ家庭に育ち、そのうち三つをまあ、身につけた私は、言語そのものを目的とする学問には興味は無かった。大学生になにを勉強しているかときいて、よく、英語をやっています、フランス語をしています、という返事をきく。ところが 習った言語で、何を考え いいたいのかは、は残念ながら質問されない。
私は、何語でもいいから、一体自分が 一生何を探究してゆきたいのかを考えていた。言葉は、この目的を果たすための、単なる道具に過ぎない。言語を一つしかあやつれなくても,吐露すべき内容が頭にあれば、給金を払い、翻訳サービスを頼めば良いだけの話だ。言語がいくつか操れるということは便利ではあるが、それだけではあまり、私にとって意味のあることでは無かった。単なる、ファッションとしてのバイリンギャル、トライリンギャル、なら大勢いる。取り立てて騒ぐ程のことではない。

それでは、何を問題としたら 私の血はたぎるか。何語でも良いから、ものをいいたくなるか。ここで再び、私の心は小学校の、あの群れの中にかえっていった。あの人間集団の醜さを前にして、いたみながら、私の中のある部分は、この環境を観察していた。水族館の水中トンネルにはいり、ガラスのこちら側から鬼ヒトデが珊瑚にむしゃぶりつくさまを、一種の感銘をもってみいる観客のようなものだ。たまたま自分が餌食の珊瑚であっても、現象そのものの興味深さを把握することはできる。

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