2015/03/22

サックス先生の言葉 その2 老いについて(でも若い子たちに読んでほしい)

 








メタセコイア、3000年の樹木








































最近、自分の重い病気の再発と、自分の死生観について素晴らしい文を発表したオリバーサックス先生。
実は、今から2年前自分の80の誕生日の直前、老い、についての素晴らしい文も発表していました。
以下、日本語訳です。



老いの喜び(冗談ではなく)

オリバーサックス
試訳 ユキ 

昨夜、水銀の夢をみた。銀色に巨大にまんまるに耀き、あがったりさがったりしている夢。水銀は原子番号80番。私の夢は今週の水曜日、80歳になることにつながっている。

 わたしにとって、少年時代から物質と誕生日は切ってもきれないものだ。物質の原子番号と周期表を習って以来ずっとである。11になったとき、ぼくはソディウム   (原子番号11の物質)だ!といって喜び、今79なのでわたしは金だ、と思うのだ。数年前に友人の誕生祝いに、水銀の入った瓶を贈ったことがある。もちろん漏れたり壊れたりしない特別な瓶に入れて。彼は私を不思議そうな目でみつめかえした。それでも、その後、愉快な手紙を送ってくれる。毎日健康のために少しずつこれを飲んでるよ!と。

 自分が80になるだなんて!信じられない。やっと人生始まったばかりだ、と思うこと多いのに、はや終末に近づいているとは。母は18人兄弟姉妹中の16番目。わたしも4人兄弟の末っ子である。だから、母方の膨大ないとこたちの中で、ほぼ一番若かった。高校でも同級生の中で一番若いのだ。だからいつも自分が一番若い者たちの中に数えられるという感覚に慣れてきた。ところが今や、私の周りの知っている人の中で、私が一番年を取っている。 

41のとき、もう一貫の終わりと思ったことがある。たった一人で山登りをして、ひどい骨折を足に負ってしまったときだ。足に一時しのぎの添え木を当て、山をなんとかして腕のみを使って這いずり下りた。この恐ろしく長い下山の間、自分に起こった良いこと、そして悪しきことの思い出が激しく脳裏に呼び覚まされた。 これらの思い出は、ほとんど感謝の気持ちを込めて想いおこされたものだった。他人から授かったものに対しての、感謝の気持ち。そしてまた、いくばくか、お返しもできたことに対する感謝の気持ち。当時、レナードの朝 (原題 The Awakening がその1年前に出版されたばかりの頃だ。

 80になる今、どれもなんとかなるわずらわしい幾つかの病気と手術を経験しながら、感じることは、生きていることへのありがたみだ。死んでなくてよかった!時々お天気が素晴らしい時など、正にこんな気持ちが私を包む。(これは、サミュエルベケットについてある友達から聞いた話と全く逆。この友は、ベケットとある素晴らしい春の日に、パリで歩いていた。友はベケットに、“生きてて良かったと思わないかい、こんな素晴らしい日を味わうと?と聞いた。ベケットその質問に答えて曰く ”そんなこと、ことさらには思うものか")

いろいろなことを体験できたことをありがたい、と感じる。味わった体験が素晴らしいものであろうと恐ろしいものであろうと。1ダースほどの本を書き上げることができたこともありがたい。そして数知れない手紙を、友人から、同僚から、読者からいただくことができた。そう、ナサニエルホーソンのいう、”世界との交わり”を体験することができたのだ。 

逆に、多くの時間を無駄にしてしまったことを後悔する。今でも無駄にすることがあるのだが。また、20の頃とおなじように、80にしても、身を切るほど内気であることを後悔する。自分の母国語以外の言葉をしゃべれないことも後悔する。そして、もっと旅をして他の文化を今以上に経験しなかったことも後悔している。


   今や、自分の人生を完成に向かわせる必要を感じるのだ。完成がどういう意味を持つかは計り知れないが。

90や100才の私の患者たちの幾人かは、今こそ主よ、僕を去らせたまわん、と死に向かおうとする。“恵まれた人生を送ることができたから、もういつお迎えが来てもいい。”という心構えだ。そして、彼らの一部にとって死は、極楽に行くことを意味する。決して地獄に行くという意味は持たない。もちろんサミュエルジョンソンやジェームスボズウェルなどは、地獄に落ちるかもしれないという恐れに苛まれていたが。だから彼らは全くそのようなことを信じていなかったデビッドヒュームに対して、怒り苛立ったものだった。

私も、死後の世界を信じていない。そんなもの望んでもいない。ただ友人たちの心の中に、記憶として残ってさえいれば、いい。そして、願わくば私がしたためた幾つかの本が、私の死んだ後も、読者と交流し続けることができれば、それでいい。

 WHオーデンはよくわたしに、80まで生きてその後さっさと“おっちんでしまいたい”と語ったものだ。彼は67で逝ってしまった。彼が亡くなってから40年経ったが、わたしはよく彼の夢を見る。彼だけでなく、両親、元患者、の夢も。みんな遥か以前に亡くなった、大切な愛しい人々だ。 

80ともなれば、ボケや脳溢血になる可能性が高くなる。自分と同世代の3分の1は亡くなっている。もっと多くの人たちが精神と身体の病に煩わされ、悲劇的で惨めな状況に囚われている。80ともなれば、衰えは否応なく自分を襲う。反応は鈍り、名前を忘れ、頑張りもきかなくなる。それでも、生気に満ち溢れるような、あたかもまったく老いていないような気持ちになることが、ままあるのだ。  

もしかすると、運が良ければ、なんとかあまり衰えずに、もう何年か、愛し、仕事をすることができるかもしれない。この、フロイトの曰く人生で一番大切な、ふたつのことを続けることが。 

わたしが死ぬ番が来たら、フランシスクリックが死をあしらったように、毅然とした態度を取りたい。彼は直腸癌が再発したことを知らされた時、はじめ無言だった。遥か彼方を、一分間凝視したあと、おもむろにそれまで続けていた思慮へと戻っていったのだ。数週間後、自分の容体についての感想を聞かれて、こう答えた。“はじめあるものは終わりがある”。そして88で死ぬまで、豊かな創作活動をやめなかった。 

私の父は94まで生きた。よく、80歳代は人生で一番面白い10年間だったと言っていた。彼は、私がちょうど今感じているように、精神や観点の縮小でなく、拡大を感じたのだ。長い人生を経験し、自分のみでなく多くの人々の生き方も経験してきた積み重ねがある。勝利や悲劇、はやりやすたり、革命や戦争、大いなる成功や深い曖昧さ。いろいろなものを見てきた。大仰なセオリーが湧き上がってきては、頑固な事実の前にワラワラと崩れ去っていく様子も、何度となく見た。 

この歳になると、ものごとのはかなさ、そして、もっといえば、美しさを、一層しみじみと自覚するようになる。80の観点からみると、長い息で見ることができる。若かりし時には持てなかった、生き生きとした歴史感覚でものを捉えることができるようになるのだ。1世紀という時間が、どのようなものであるかということを、想像することができる。骨身にしみじみ感じることが。これは40代、では、いや、60代でもできなかったことだ。 

老いとは、わたしにとってなんとか耐え忍んで、最良を尽くさなければならない、暗い時期ではない。むしろ、自分の自由に使える時間と解放の時期だといえる。若かった頃のように、諸々の、のっぴきならない急ぎの義務的用事から解放されているからだ。何をするのも自由。今こそ、一生かかって蓄えた思いや感情を、つむぎあげる時である。 

80になることを、私はだから心待ちにしている。


http://www.nytimes.com/2013/07/07/opinion/sunday/the-joy-of-old-age-no-kidding.html?_r=1SundayReview | OPINION The New Yorl TimesThe Joy of Old Age. (No Kidding.)By OLIVER SACKSJULY 6, 2013

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