2015/05/15

レッテル、アイデンテティ、そして思い込み。



おのずと それではそんなに皆が あがめ拝んでいる大切な、ナショナルというものとはなんなのか、に深い疑問をもたずにはいられなかった。当時は、今よりはるかに ニホンジンは単一文化、単一民族、そして日本語は外人には難しすぎてマスターできない、できる外人は、それこそ変な外人だ、という神話が、何の疑問もなく受け入れられていた時代だった。たとえば、キンパツの(アイノコ)が、(本物)の日本人の子より丁寧な日本語を操るのは 実にけしからんことであったわけだ。 それでは、日本と逆に 多重言語、移民国家、多重民族を標榜する他の国では いかに、群れの論理が成立してゆくのか。ナショナリズム、国家、集団のアイデンテイテイ等 どのように、その社会に住む個人がとらえているのか。場所をかえて、同じ現象を見てみたくなった。これを見てゆくために いったいどこを選ぶか。アメリカは、あまりにも多くの日本人が学習対象にしている、フランスにしても同じことだ、つまらない。どこかもっと、ひとつひねりのある場はないか。ついでに欲を言えば 群れに痛めつけられ、ひとりのときに よく動物達に心が癒されたので、狼のような野生動物がまだ、多く棲息しているところがいい、などと勝手なことを考えて、ある大学の、地域研究、カナダ研究課という項を読んでいた。ふと、仏語圏カナダ、ケベックのナショナリズム運動という文が目に留まった。北アメリカ大陸、大国アメリカの北部にだだっ広く張り付いている、ただでさえ住民の少ないカナダ。移民がいなければ人口過少となり、国として成立しないカナダで、現在進行形で、単一言語 (フランス語)、単一文化 神話(ケベコワ文化)に基づいた、時代錯誤ともいえる、ネーションーステートを成立させ、分離独立しようとする運動が起きているところがケベックだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

このブログは、カウンセリングその他、医療、治療目的のものではありません。あくまで、個人の意見を、安心して交換できる場でしかありません。もしも、私と分かち合いたいこと、いたいことがあったなら、ここに書いて送ってみてください。あなたのメールアドレスは公開されません。