2015/04/19

いじめはリンチである。5(On bullying 5)






もうひとつ、ついでに書きたすと、私の場合、思い込みとしての、国家、国体、国民、(ネイション、という言葉が、あてられる)の純潔,純血、神聖な境界、を破ったものとして、ニホンジンでもなく外人でもない、最も汚らわしいもの、自然の掟を破ったもの、醜いアイノコとして、先に述べた教師からさえも 扱われたことが多かった。
おのずと それではそんなに皆が あがめ拝んでいる大切な、ナショナルというものとはなんなのか、に深い疑問をもたずにはいられなかった。当時は、今よりはるかに ニホンジンは単一文化、単一民族、そして日本語は外人には難しすぎてマスターできない、できる外人は、それこそ変な外人だ、という神話が、何の疑問もなく受け入れられていた時代だった。たとえば、キンパツの(アイノコ)が(本物)の日本人の子より丁寧な日本語を操るのは 実にけしからんことであったわけだ。 

それでは、日本と逆に多重言語、移民国家、多重民族を標榜する他の国では いかに群れの論理が成立してゆくのか。ナショナリズム、国家、集団のアイデンテイテイ等 どのように、その社会に住む個人がとらえているのか。場所をかえて、同じ現象を見てみたくなった。

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