2015/05/28

万国、*いじめられっこ*宣言





万国、*いじめられっこ*宣言
壊れてしまった君へ
壊れることは革命です。
雪山にこもった叔母さん、山姥が、おはなしあいてになりましょう。
いい子なんかになることない。
人の目なんかかまわない
心に、北極星を。
極北の風、心に吹いてていいんだよ
海と銀河で、あなたはできてる。あなたの血液は海のもの、あなたのマチエール(素地)は、遥かな星々のかけらから成り立っている、
星があなたの血管を流れているのよ!
息をする、目を開く、そのままでいる。
みんな素晴らしいことです。
そこにいるままで、革命大成功!
さあ、心の蝶々、飛ばしましょうか。
蛹のままでもいいよ!
ーぼーっとすることの美学
ーいじめるってどういうこと?
ー いじめられるってどういうこと?
ー社会的一人前って何、
ー皆と同じじゃなきゃ存在しちゃいけないの?
ー誰が決めるの?
ーたんぽぽって雑草だから、大切にしなくていいわけ?
ーそもそも、雑草ってなに?
ー誰がいい子なの?
誰が決めるの?
お星様にもいじめるお星様といじめられるお星様あるっていうの?
あたしは、そうは思わないね。
おばさんは、ここに宣言する!
いじめられっこばんざい!
万国の いじめられっこよ!歓喜の声を、かってに、バラバラに、あげよ!
邪魔者というなら、居直って、言ってみよう、!
邪魔者こそ、世界を動かしているのだと!
世の美しいものを作り続けてきた人々は、一回は壊れている人々です。
誰にも読まれない詩人たち、
絵を描かない絵描きたち、言葉のない夢見る人々です。
心の深い森の中、思い切り迷い巡って、深呼吸。

おばさんと一緒に、さあ、迷路にはじめの一歩!

2015/05/15

レッテル、アイデンテティ、そして思い込み。



おのずと それではそんなに皆が あがめ拝んでいる大切な、ナショナルというものとはなんなのか、に深い疑問をもたずにはいられなかった。当時は、今よりはるかに ニホンジンは単一文化、単一民族、そして日本語は外人には難しすぎてマスターできない、できる外人は、それこそ変な外人だ、という神話が、何の疑問もなく受け入れられていた時代だった。たとえば、キンパツの(アイノコ)が、(本物)の日本人の子より丁寧な日本語を操るのは 実にけしからんことであったわけだ。 それでは、日本と逆に 多重言語、移民国家、多重民族を標榜する他の国では いかに、群れの論理が成立してゆくのか。ナショナリズム、国家、集団のアイデンテイテイ等 どのように、その社会に住む個人がとらえているのか。場所をかえて、同じ現象を見てみたくなった。これを見てゆくために いったいどこを選ぶか。アメリカは、あまりにも多くの日本人が学習対象にしている、フランスにしても同じことだ、つまらない。どこかもっと、ひとつひねりのある場はないか。ついでに欲を言えば 群れに痛めつけられ、ひとりのときに よく動物達に心が癒されたので、狼のような野生動物がまだ、多く棲息しているところがいい、などと勝手なことを考えて、ある大学の、地域研究、カナダ研究課という項を読んでいた。ふと、仏語圏カナダ、ケベックのナショナリズム運動という文が目に留まった。北アメリカ大陸、大国アメリカの北部にだだっ広く張り付いている、ただでさえ住民の少ないカナダ。移民がいなければ人口過少となり、国として成立しないカナダで、現在進行形で、単一言語 (フランス語)、単一文化 神話(ケベコワ文化)に基づいた、時代錯誤ともいえる、ネーションーステートを成立させ、分離独立しようとする運動が起きているところがケベックだった。

2015/04/19

いじめはリンチである。5(On bullying 5)






もうひとつ、ついでに書きたすと、私の場合、思い込みとしての、国家、国体、国民、(ネイション、という言葉が、あてられる)の純潔,純血、神聖な境界、を破ったものとして、ニホンジンでもなく外人でもない、最も汚らわしいもの、自然の掟を破ったもの、醜いアイノコとして、先に述べた教師からさえも 扱われたことが多かった。
おのずと それではそんなに皆が あがめ拝んでいる大切な、ナショナルというものとはなんなのか、に深い疑問をもたずにはいられなかった。当時は、今よりはるかに ニホンジンは単一文化、単一民族、そして日本語は外人には難しすぎてマスターできない、できる外人は、それこそ変な外人だ、という神話が、何の疑問もなく受け入れられていた時代だった。たとえば、キンパツの(アイノコ)が(本物)の日本人の子より丁寧な日本語を操るのは 実にけしからんことであったわけだ。 

それでは、日本と逆に多重言語、移民国家、多重民族を標榜する他の国では いかに群れの論理が成立してゆくのか。ナショナリズム、国家、集団のアイデンテイテイ等 どのように、その社会に住む個人がとらえているのか。場所をかえて、同じ現象を見てみたくなった。

2015/04/13

いじめの謎を、追い求めて 1





カナダという国は、豊穣なイメージをそそる国だ。森と河川と広大な国土、豊かで清潔な文化、暴力沙汰のない 完璧な治安。偏狭な精神と窮屈な風土から逃れようとしていた私に、カナダと言う言葉は幻想を持たせた。
私は、ある国立大学の修士課程の入学説明書を読んでいた。日本語、英語 ドイツ語、フランス語に多重なつながりを持つ家庭に育ち、そのうち三つをまあ、身につけた私は、言語そのものを目的とする学問には興味は無かった。大学生になにを勉強しているかときいて、よく、英語をやっています、フランス語をしています、という返事をきく。ところが 習った言語で、何を考え いいたいのかは、は残念ながら質問されない。
私は、何語でもいいから、一体自分が 一生何を探究してゆきたいのかを考えていた。言葉は、この目的を果たすための、単なる道具に過ぎない。言語を一つしかあやつれなくても,吐露すべき内容が頭にあれば、給金を払い、翻訳サービスを頼めば良いだけの話だ。言語がいくつか操れるということは便利ではあるが、それだけではあまり、私にとって意味のあることでは無かった。単なる、ファッションとしてのバイリンギャル、トライリンギャル、なら大勢いる。取り立てて騒ぐ程のことではない。

それでは、何を問題としたら 私の血はたぎるか。何語でも良いから、ものをいいたくなるか。ここで再び、私の心は小学校の、あの群れの中にかえっていった。あの人間集団の醜さを前にして、いたみながら、私の中のある部分は、この環境を観察していた。水族館の水中トンネルにはいり、ガラスのこちら側から鬼ヒトデが珊瑚にむしゃぶりつくさまを、一種の感銘をもってみいる観客のようなものだ。たまたま自分が餌食の珊瑚であっても、現象そのものの興味深さを把握することはできる。

2015/04/09

知りたい、と思う心





この奇妙な、下手な人が作ったワンコのプラモデルのようなものは、
いったいなんだか、知っていますか。

これは、キュリオシティ。英語で、「好奇心」、という名前の、探索機。

この機械が、今、地球のお隣の惑星、火星で、たったひとりで、火星の表面を走り、あの赤い乾いた岩を掘り出し、砕き、そして、探索しているのですよ。私たち人間がまだゆくことができないので、その代わりにこの探索機が火星に送られたのです。彼は、休むことなく、いったい私たちのお隣の惑星には何が隠されているのかを探し求め、私たちに、その謎を解くための鍵となる情報を送ってきているのです。

私たちの祖先が、夜空を見上げ、お星様に不思議を感じてから、ずっと、人はわからないことを前に、考え、思いつき、間違っては、再び答えを求めてきました。

わからないことを前に、戸惑い、答えを探し求め、間違えては、再びどうしてなのだろう、と考えてゆくこと。


わからない、と気づくこと。そして、それを知りたいって思うこと。これは、もうなんでも知ってる、わかりきってるじゃない、と思うより、よっぽど面白い。

お星様のことを勉強している人に、ニール・ドグラース・タイソンという先生がいます。その人は、こう言いました。
今まで、当たり前で、わかりきっていてつまらない、と思っていたことの後ろに、本当はものすごく素晴らしい謎が隠されている、と。

好奇心。知りたい心。誰かが言ったから、というだけでそれを丸ごと信じないで、自分で考えたくなること。自分で確かめてみたくなること。頭の冒険旅行です。

いじめられて苦しんでいる皆さん。今は、人の心無い言葉や意地悪のために、檻の中に入って出られない、と思っている皆さん。君たちは、限りなく自由です。君たちの心を閉じ込められる檻などない。さあ、問いかけてみよう。なぜなの?わからない?本当はどうなのって?

そして、探索してみよう。キュリオシティ。好奇心。心の旅は、始まったばかり。


キュリオシティ君が、どうやって火星に送られたかは、もう、ものすごい冒険です。それを知りたい人は、下のヴェイデオを見てね。英語だけど、、日本語の字幕が出てくる。
もうそれはたくさんの人々が長いこと力を合わせて、これを送りました。




2015/04/04

一息タイム。 何かに心とらわれてみよう。。。





君たちは、何か好きなことが、あるだろうか?
絵を描くのもいい、
アリの観察でも、
ただ雲を見つめることでもいい。
何かが君たちの心を捉えたら、
君たちのラッキ〜タイム!
この小さなヴィデオは、
私の紙の動物園のうちの一匹を見せている。

何か作っていると、苦しみを忘れることができる。

なんでもいい。
下手だろうが上手だろうが、全く構わない。
楽しくで、時間が経つのを忘れてしまうこと。

見つけてみよう。

2015/03/31

大人たちへ、いじめが、あなたの子供がいい子であるかないかとは全く関係ないことを知って欲しい。




再び、エリオット先生の授業について。

これは、以前に出した、エリオット先生。約40年前、最初に彼女が自分の小学校のクラスで実験したもの。先生の示唆で、子供がどんどん変わってゆくところを見て欲しい。先生の態度がどれだけ、子供に影響を与えるかに注目して欲しい。それも、ほとんど、直ちに変わる。すごいです。 字幕付き。蝿の王をまた思い出してしまう。
ところで、私がエリオット先生をしつこく出してくるのは、アメリカの人種問題を告発したいためではありません。どんな些細なことでも、権威の示唆と、子供たちの、群れとしての衝動が、不幸な交わり方をすると、どのような理由でも、いじめの構造、リンチの構造が作られる、と言いたいがために、これらをアップしています。いじめの対象となる獲物を選ぶ理由は、こじつけです。根拠は全くなくていい。彼女は、その根拠のあほらしさを示すために、目の色、という、全く任意の違いを選び、その上に立って差別を作るのがいかにたやすいかを、克明に見せます。

いじめと戦うものたちに、声を大にして言いたい。いじめ、つまりリンチは、あなたの子供の挙動に原因があるのではない、と。違いを差別に導くことで、集団を形作ったほうが、心地よい土壌を、そこにつくったから、リンチが起こる。(これははっきり言います。リンチが起きたら、子供も、そして特にその子を愛する大人も、戦争に入ります。リンチはこちらが良い子にしていたら止むものではないから。子供が、”いい子”になれば治るっとは決して思わないでください。あなたの子供の存在自体を、あなたがまもらなければならないからです。)

力づく言葉、馬から学べること。。。

これは、前にも少し紹介した、ジョーキャンプさんのかいた本です。まだ日本語に訳されていないので、ここで少し、何が面白いか説明します。 ジョーさんは、前にも行ったように、他の人から、相手にされず、長いこといじめられたケイケインある人です。それでも、情熱を持って、自分の好きなことをするために、自分で道を切り開いていった人です。


この人は、いかに、馬から、自分の考え方を自分で探し出すことの大切さを学んでいったかの道が、書かれています。そこで、この本について書きますね。

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皆さんにぜひ読んでもらいたい、おすすめの本があります。題は「ザ ソウル オヴ ア ホース」、つまり「馬の魂」。書いた人は、ジョー キャンプさん。単なる馬についての本ではないのです。

 馬といえば、あなたはどんなことをイメージしますか。競馬、乗馬クラブ、サーカスの馬、馬車馬、軍馬。いろいろなイメージがわくでしょう。でもどれも、結局は私たち人間の乗り物や、道具として考えることでしょう。
  ジョーさんの本はここが違うのです。ジョーさんは、馬は乗り物や道具なんかではなく、彼らなりの、人とは別個の生き物として扱うことが大切だと述べているのです。彼はこのように視点を変えると、今までの伝統的な飼いならし方、飼い方全部が馬にとって害をもたらすことにきづき始めます。
ここでジョーさんは偉かった!
 ジョーさんは、伝統的な馬の飼い方、という古くから疑われることなく存在する、決まったやり方を前に、こう思いました。全て自分の頭で考え直し、本当に正しいか考えてみようと。こうすると、偉い人たちが、馬にこうしろ、と言っていることが、必ずしも正しいものではないことに気付きました。
例えば、、、、蹄に蹄鉄を打ち付ける、11頭、群れから離してひとりぼっちの狭い部屋に入れる、建物の中に入れる、寒い時には服を着せる、などといった今までなんの疑問もなく、当たり前のこととしている、飼い方はぜんぶ馬のためになっていないことに気づきます。
 また、馬は体重のわりに胃が小さいので、1日あたり1820時間食べていなくてはなりません。それなのに、13回 、栄養たっぷりの餌をあげます。この餌を馬は30分もあれば食べてしまうので運動する時間を差し引いても、時間を持て余し退屈です。その結果、ストレスがたまり、ノイローゼの原因となることも発見しました。
ジョーさんは、今までまかり通っていた、伝統的な馬の飼い方は、かれらの健康や命までをもおびやかしていたのだと発見します。じっさいに、野原で自由に生きてる馬たちは、人間に飼われている馬たちよりもおよそ二倍も長く生きる、という調べさえジョーさんは見つけました。
そして、馬と人との、最初の接触のやり方についても、新しい発見をします。 ジョーさんは、特別な飼い慣らしの方法を使います。これはジョインアップと呼ばれる、無理強いのない、馬自身の心を尊重する方法です。馬の側から、この人間をリーダーとしたい、と思わせる方法です。このやり方で結ばれた絆は、馬を痛めつけ、無理強いして服従させる従来のやり方よりはるかに素晴らしいものである、とジョーさんは説明します。相手の身になって作られた絆の強さ、そして美しさは、読んでいて涙が出ます。
ジョーさんの本は私たちに、恐れること無く、自分の頭で考え、質問し実行してゆくことの大切さを教えてくれます。ジョーさんの本は、声なきもの、自分より弱いものたちの身になって、考え、絆をつくることの、大切さを教えてくれます。
だから、この本を読んでほしい。