2015/03/28

いじめはリンチである。その4







受け持ちの小学校教師が、私の(操行)が改まるまで内申書を書くのを拒否したことは既に書いた。両親、特に父親は、私に一言も言わなかった。が むしろ虐められた本人の私より断腸の思いを味わったと思う。
私は笑わなくなり、学校に失望し、知ることの喜びを忘れかけていた。父には私がこのまま公立の中学に入ると、同じ環境がそのまま持ち上がって、同じグループのいじめが続くのが目に見えていた。私が新しいいじめのサイクルにとりこまれ、完全に破壊され切ってしまう前に、父はある判断をとった。
父は私に、ある日ここを受けてみればどうかと,ある私立のXという学校のパンフレットを持ってきた。この学校は当時の日本では珍しく、生徒一人一人の味と能力を伸ばすことを主眼とした教育を実践していた。入学試験は、教科筆記試験に頼らず、3日間の長時間の個人口頭試問によるものであった。そこでは子供に,一律の正しいとされる答えを求めるのでは無く、どのように子供が共通の材料を使って考察し,その結果を,第三者に系統だって発表するか、を評価の対象とする。通知表の中身が普通でなくとも、また私のように,公立の学校の教師に裏切られ、内申書の無い子供にも、受験のチャンスを与えているところだった。日本にある中華学校や朝鮮人学校の卒業生や、 当時珍しかった海外帰国子女などにも、率先して門戸を開いたところでもあった。なんでも誰でも受け入れるのでは無い。子供があることに情熱を持ち、取り組む気概があるか見極め、それがある子には徹底的に、機会を与え、時間を与え、試練を与えるという学校だった。

はっきりいう。私は父がこの学校を見い出してくれたことで、救われた。ここではクラスに入る前に,痛みを止めるために,絶望による心の麻酔薬を肌にまとう必要は無かった。この学校では、校長にはじまる教師達、そして特に担任の先生にとり、私は他の50人と全く同様、著しく無知であるが可能性に満ちた、一人の中学一年生にすぎなかった。ここでは 柔軟な学習スケヂュールのなかにも勉強に対する峻厳な態度を求められ、とくに、人がどう思うかと気にするよりとにかく自分の頭で考えてみよ、と励まされた。

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